統一原理(『原理講論』)に対する批判

世界基督教統一神霊協会(韓国での新名称:世界平和統一家庭連合,以下「統一教会」と表記)はマスコミを通して,特に合同結婚式で有名になりましたが,その他にも様々な活動をしています。 統一教会の外部に対しては,自分たちが統一教会のメンバーであることを名乗ることなく,別の団体を装って,募金などの経済活動をしたり,純潔運動や家族愛をうたった勧誘(伝道)も頻繁に行っています。 一方,統一教会内部では,信仰生活と称して,祈祷,断食,水行,献金,そしてメンバーたちとの共同生活などをしています。 しかし,そういった活動の原動力となっている理念自体は,世間ではあまり知られていないと思います。 その理念は,彼らの教典として位置付けられている『原理講論』という書物に集約されています。 『原理講論』の内容は,教祖である文鮮明氏が明らかにしたとされる絶対的真理(これを「統一原理」または略して「原理」と呼びます)の一部を書き記したものと言われています。 また実際に,文鮮明氏自身が統一教会のメンバーに語る話も,この『原理講論』を基にしており,まさに統一教会の教理の中心的な内容が『原理講論』なのです。 したがって,統一教会のメンバーの信仰生活は,全てこの『原理講論』から導かれるようになっています。

しかし『原理講論』には,あまりにも多すぎる誤りや矛盾などが存在しており,絶対的真理どころか,一つの仮説としても成り立ちません。 誤りや矛盾を全て取り除いてしまえば,『原理講論』はただの空白の書物になってしまうでしょう。 しかし,そこには哲学的な難しい用語だけでなく,聖書からの引用もたくさんあり,一般の人にはなかなか理解するのが難しいという現実があります。 統一教会に対して反対活動をしているキリスト教徒の中には,正統的なキリスト教神学こそが真理であるという視点から『原理講論』を反駁しようとする人もいます。 しかしながら,その方法は,統一原理を完全に否定するためには不完全です。 なぜなら,キリスト教神学が絶対的真理であるということは証明できないからです。

ところが,幸いというべきか,『原理講論』の内容は矛盾に満ち満ちており,あまり他の資料を用いることなく,原理は原理によって否定することが可能なのです。 原理が原理によって否定されるということは,統一原理という体系自体が内部崩壊していることを意味します。 ゆえに,統一原理は単に破棄される運命にあり,したがって,統一教会での信仰生活も,罪を清算するとか,地上天国を実現するという彼らの目的を達成するためには,全く無意味なものとなってしまうのです。 また,文鮮明氏が真のメシヤ(救世主)であることは『原理講論』によって正当化されていますが,このことも原理によって完全に否定できます。 『原理講論』とは,文鮮明氏が偽メシヤであることを証する書物にほかならないというわけです。

私は,以上のようなことを明確にするために,一冊の本を著しました。 それがこのページで紹介する『これが統一原理だ』です。 この本では,1992年7月10日に光言社から発行された世界基督教統一神霊協会著『原理講論』第3版第22刷を底本として,最初から順を追って批判を展開しています。 1992年に出版されたこの第3版を底本とした理由は,単に私がそれを所持しているからです。 よって,他の年次に出版された『原理講論』とは,私が『これが統一原理だ』で指摘した頁数や行数が異なっている場合があるかもしれませんが,その点はどうか御容赦下さい。 また,この本を著した時点では,私はキリスト教徒でもなく,他のどの宗教も私自身の信仰としては持っていませんので,そのような視点から述べてあります。 批判をする際,できるだけ原理以外の視点を用いないように配慮しましたが,哲学的な文章を書く以上,どうしても私自身の世界観・人生観が反映されてしまっていることも,御了承下さい。

2003年6月28日,自費出版本としての『これが統一原理だ』は完売しました。 お買い上げの皆様,どうもありがとうございました。

しかしながら,まだ必要とされる方もいらっしゃるかもしれませんので,電子版としての『これが統一原理だ』を販売することにします。 (自費出版本にいろいろ修正が加えてあります。) 是非欲しいという方がいらっしゃいましたら,私宛にメールで御連絡下さい。 価格は1500円です。 送金方法は,御注文のメールを受けてから,折り返しメールにて御連絡させていただきます。 『これが統一原理だ』(電子版,318KB)は,送金確認後に添付メールにて送信させていただきます。 (2010年1月29日,電子版第7版に更新しました。)

また,『これが統一原理だ』は『原理講論』に基づいて批判を展開していますので,少なくとも旧新約聖書と『原理講論』を所有しておられないと充分な役目を果たしませんので,御注意下さい。 ちなみに電子版『これが統一原理だ』は一太郎2009で作成していますので,一太郎2009以降をインストールされている方はそのまま読むことができます。 一太郎をインストールされていない方は,一太郎ビューアを使って読むことができます。 しかし,Windowsをお持ちでない方は残念ながら読めませんので,どうぞ御了承下さい。

以下,『これが統一原理だ』の,総序,創造原理,堕落論に関する内容を要約して,その一部を紹介します。 (『これが統一原理だ』の内容を全てインターネットで公開したらどうか,という意見も聞きますが,そうすると統一教会側がメンバーに対して無意味な言い訳をして悪用しますので,全ての公開はできません。 下の「補足」に出てくる批判本がその良い例です。 ちなみに,この『これが統一原理だ』を読めば,冷静な判断ができる人なら統一原理は100パーセント間違いであるのがわかります。 と同時に,「文鮮明氏が偽メシヤである」というのは,主観の入る余地が全くない,客観的事実であることもわかります。)

総序

創造原理

堕落論

以上,ほんの少しだけですが,これだけでも『原理講論』の間違いは単なる記述ミスでは済まないレベルであることがわかると思います。

補足

ここで補足として,統一教会メンバーである太田朝久氏が『「原理講論」に対する補足説明』(広和,初版,1995)という本を出版していますので,これについても少し説明しておこうと思います。

この本は主に反対牧師による統一原理批判に対抗する主旨で書かれていて,中身は2部構成になっています。 第一部は「聖書と統一原理(増補改訂)」という題で,聖書批評学の観点から,統一原理の正当化を試みています。 そして,その論旨の延長として,第二部は「『原理講論』に対する補足説明」という題で,太田氏個人の見解(統一教会の公式な見解ではない)が述べられています。

同書において,太田氏は「第二部の内容は,第一部の内容を前提としているので,第二部だけを取り上げて使用するのは止めて欲しい」と言っています。 そこで第一部の内容を簡単にまとめてみます。

「新約聖書には数多くの記述ミスがある。 また,新約聖書ではクリスチャンに都合の良いように旧約聖書の聖句が引用されていて,それがユダヤ教徒にとって躓きの石になった。 これらと同様のことが『原理講論』にも当てはまり,『原理講論』における表現上の記述ミスや聖句の引用問題がクリスチャンを躓かせている。」

しかし『原理講論』をしっかり検討してみると,前述したように,その間違いは根本的なものであり,単なる記述ミスでは済まないものなのです。 そして聖句の引用問題に関しては,つまり,キリスト教は論点先取の虚偽をおかしている(イエスがメシヤであることを前提として無理に聖句を旧約聖書から引用している)ので,『原理講論』も同様に論点先取の虚偽をおかしていても構わない(自分たちに都合の良いように引用されていても良い),というのです。 しかし統一原理は,宗教と科学を統一された一つの課題としているという以上,論理的に正しくなければならないので,論点先取の虚偽をおかしていてはなりません。

よって,太田氏の言う「第二部の内容は,第一部の内容を前提としているので,第二部だけを取り上げて使用するのは止めて欲しい」というのはただの詭弁にすぎないのです。 彼はこのような簡単なことすらわからずに,反対派の言うことを「詭弁」であると言っているのです。 また,「個人的な見解にすぎない」と言いながら,現統一教会メンバーや元メンバーたちに読まれることを期待していると,本の中ではっきり言っています。 つまり,この本によって,統一原理の正当性を浸透させたいと考えていることになります。 実際,第二部における「個人的な見解」を,わざわざ「網掛け」で囲って,「〜と理解しておく」という決まり文句で閉めている部分が多いのも,作為的な意図を感じさせます。 それは,「まさにこれが正しい理解の仕方である」と言わんばかりのやり方です。 しかし太田氏本人も明言しているように,これはあくまで彼の個人的な見解にすぎないので,最初から読む価値はない,と考えるのが妥当です。 なぜなら,下手に彼の解釈を信じてしまって,実際の統一原理とは異なる理解をしてしまう恐れがあるからです。 (実際に彼以外にも独自の解釈をしているメンバーもいますし,ほとんど分派のようなものを形成しているメンバーもいます。) このような本が書けるのは,最初から統一原理に対して非常に強い情的重みづけをしているからであり,決して謙虚な姿勢で「真理を探究していこう」としていない証拠です。 彼のようなメンバーは文氏,幹部などのアベル(上司)の言葉に対しては「心情的に」正しいと疑いもせず,反対派の言うことは「心情的に」間違いと決めつけてかかるのです。 彼のようなメンバーがすべきことは,まず,統一原理に対する非常に強い思い込みを,できるだけ完全に取り去ることです。 それこそが,本当に謙虚な姿勢なのです。

ちなみに太田氏は,『原理講論』に記述ミスや聖句の引用問題があることについて,「信仰のテスト」であるとか,その「信仰のテスト」に勝利できなかった場合のメシヤによる「とりなし」のために必要なことだと述べています。 真理をすべて教えることができないのはそういう理由があるからだというのです。 しかし,すべてを教えてもらっても,メシヤを迎えるためには信仰基台と実体基台を自らの責任分担として努力して造成しなければならない,つまりそれが「信仰のテスト」になるわけですから,すべてを教えてもらっても良いはずです。 また,とりなそうとして,メシヤが責任をとろうとしても,(文鮮明氏自身の言葉によると)他の人が誰かの蕩減条件を代わりに背負うことはできない(『罪と蕩減復帰』238頁)のだから,「とりなし」には何の意味もないことになります。 そもそも,すべてを教えようとしても,どう考えても不可能なのです。 文鮮明氏は「八割くらい合っていれば,それでいいというんだね」と言ったそうですが,『原理講論』をしっかり検討すると,独自の体系としての正しい原理など何一つとしてありません。 統一原理は根本からすべてでっち上げなのです。

本文:2010年1月29日更新
HTML文書:2010年1月29日更新
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