連続更新
11/27 6回目
始めて見たサイトは「みんなきてKOIKOI」(爆裂カップめん)です(あれれ ただいま帰りましたoyadgeですこんばんは。
大学に戻った頃、ノートパソコンはハードディスクが死亡したり、それを買い換えるくらいなら新しいパソコンを手に入れるよな、って状況だったので、サークルの後輩からもう使わないという日立のWin機を安く買い取りました。
そうこうするうちに実家から仕送りを切られるような話になったので、こりゃまずいとバイトを探したんです。
それまでは単発で日給1万円みたいなのを週3くらいで入れたりしてたんですけど、まぁそれじゃ間に合わない、と。
そんなこんなで始めたバイトだったんですけど、半年ほどして後輩が入ってきました。(4月ですから
その後輩は高専からの転入組みで、電気電子系統に強い、とかどうでもよくて、自分のサイトを持ってたんですね。
興味はあるけど電話料金が心配で、でもテレホーダイなどのサービスが充実してきてて、あとはきっかけだけという状況で、その後輩との出会いは十分なきっかけとなりました。
モデムを買ってきてネットにつなぐ。その単純作業ですけど、知識としてはあっても実際に自分のパソコンにその環境を作るというのは初めての作業だったわけで。
もとから学校なんかサークル以外ほとんど行ってなかったので(当時からダメ人間)もう朝から晩までネット漬けですよ。
ネットをする前からフリーソフトを紹介する雑誌とか買ってたりしたので、雑誌に紹介されているサイトとか、ネットゲームとかを物色しまくり。
他にも面白そうなサイトとかを荒探ししたり、フリーで出来る(貧乏学生ですから)ネットゲームを楽しんだりしてました。
以前うちでもリンクを貼っていた(今は切っています)EGG-Marketが始めてのネットゲームかな。
で、色々やっているうちに、自分でもサイトをやってみようと思ったのがこの「おやぢが生息するところ」です。
切りがいいとこで、2001年1月1日から始めました。
おーもうすぐ4周年ですね。
で、今にいたる、と。
過去ログとかを漁ると、当時自分がどういうサイトに影響されてたのかとかがよくわかって面白い。

というわけで6回にわたって私とコンピュータの馴れ初めなど垂れ流してみましたけどどうですかね、つまんないですよね←自分で言う
でも機会があったらまた同じような連続更新をしてみようと思います。
今度はもうちょっと構想を練って。
あまりにも行き当たりばったり過ぎた、と反省。
お付き合いありがとうございました。

11/27 5回目
次に連続更新の機会があれば「音楽と私」にしよう、うんそうしよう もう出かける時間なのに更新しているoyadgeですこんばんは。
私が大学に入ったのは1991年です。
入学と同時に自分への入学祝としてパソコンを買いました。
PC-9801FS2だったかな。
パソコン市場ではもう8801は弱い(16bitだから)、これからは9801(32bit64bit)だという流れで、私もその流れに乗ったわけです。
その世代の次には9821シリーズが出たりするわけで微妙に凹んでたとかはまぁ良いとして。
世間では1990年暮れにスーパーファミコンが出てたわけですよ。
まぁでも出たばっかりでどこに行っても売り切れ状態、仮にあったとしてもバカ高いので購入を見送ったわけなんですけど(9801買っといて何を言ってるのかこのおやぢは)
最終的に買ったのは5月くらいだったかな。
仕送りをつぎ込みました、もちろん食費を削ってw
大学になると、(場所柄もあって)ほとんどの友人が一人暮らしです。
毎日のように人が訪ねてきます(近所だから)
そう思って、部屋は広い部屋にしたんですよ、6畳2間かな。
片方は私のパーソナルスペース、もう片方は客間、と言う名の溜まり場。
と言う感じで私の大学生活は幕をあげたっ。


肝心のパソコンのほうは、と言えば、3,4年くらいはゲーム機として活躍しましたよ、8801も9801も。
でも、世間はwindows色に染まっていくわけです。
それ単体でプログラミングが出来ないという状況になって、私自身のパソコンへの熱は薄れていくわけですよ。
ゲームならスーファミがあるしね。
1994年くらいに授業で使うためノートパソコンを買いました。
そうするとすぐwindows95とかでるでしょ。
もう後手後手。
WORKSという今で言うOfficeで表計算ソフトを使ってデータ収集や、ワープロで小説書いたりというだけの機械と成り果てました。
周りにパソコンをすごく有効活用している友人もいなかったですしね。
そのうちプレステが出たりして、ゲーム機のほうも世代交代したり。
で、私自身ごたごたして、大学を辞めて千葉に行ったりしてたんです。
そんなこんなで大学に戻ってしばらくしたある日。
このままじゃまずいねお金ないねいいバイトないかね、と言う感じで始めたコンビニバイトに後輩が入ってきました。
運命の出会い。
続きは次回。
ちょっと出かけるので次回は深夜2時頃かな?

11/27 4回目
カプラといいます、もちろん電話はまだ黒電話(というか黒電話の形に対応していました まっくらになりましたよoyadgeですこんばんは。
1983年といえばっ!。
なんでしたっけ?
とかボケは置いておいて。
ファミリーコンピュータが出た年です。
ご多分に漏れず私も買いました。
やっぱり自分の小遣いを貯めてです。
始めのうちは任天堂しかソフトの開発をしていませんでしたから、ゲームもすべて任天堂製です。
今やるとほとんどがクソゲーと呼べるくらいうすっぺらい物でしたけど、当時はもうものすごい画期的なもので猿のようにやりまくりでしたよっ。
その頃、私はちょっと特殊な環境にあって、学校がある日は学校側に住んで、夜家に帰るという感じでしたので、学校側にはファミコン、家にはMAXMACHINEという配置で日々暮らしていました。
ところが、3回で言ったようにMAXMACHINEというやつはキーボードがちゃっちいので擦り切れてFとかXとかLとかのキーが反応しないようになってしまったので。
パソコンはまた電気屋通いに逆戻りです。
でも、それによって様々な機種を経験できたのは今ではいい経験?
主にSHARP(X-1)かNEC(PC-8801)でしたけどね。
そのうち、中学校3年くらいだったと思いますけど、ちゃんとしたパソコンが欲しい!(MAXMACHINEもちゃんとしてましたよ?うん)って思うようになって。
NECの8801がFR,MR,TRという派生機種3機種を出して1年が過ぎたので何か買おうと思ったのです。
おぉっパソコン通信っ!(TRはモデムがついたSR(1個前の機種)です)
でも絶対電話料金がバカ高くなるに決まってる、払うのは自分じゃなく親だ、パソコン触るなって言われたら元も子もない。
上記のような計算によって、TRは却下(今思えば・・・)
MRはまだ値崩れしてなかったので、FRにしました(ゲーム機といわれていた)
この時(1988年)もまだ、MS-DOS(Windowsの前身みたいなもの)はなかったので、BASICでおぉーRAMがいっぱいあるっ・゚・(ノД`)・゚・
マシン語とか勉強し出したりなんかして。
パソコンを触る友人とかも何人か出来て、ゲームを作ろうよ、って話になったりこのゲームコp(略

コホン・・・

とにかくゲーム作ろうよって話になったり、まだまだ未完成だから、ソフトメーカの名前は「fect」にしようぜっ!(Perfectじゃないから)とか。
楽しい高校時代を送っておりましたわはは。
そんなこんなで大学受験も終わり。
その裏側ではある新しいコンシューマが出来てきていたわけですね。
その詳細は次回。

11/27 3回目
ものすごく打ちにくいキーボードが特徴的でした、現物が残ってないのでNET上の画像を拝借 日が翳ってきましたoyadgeですこんばんは。
というわけで自分の小遣いから出せる範囲でパソコンと呼べるものを買いました。
コモドール社のMAXMACHINEです。
コモドールと言ってもほとんどの人は知らないかもしれませんが、アメリカでは最大手と言っても差し支えないコンピュータ会社です。
日本ではまったくといって良いほど普及していません(アレ
コモドール社と言っても、コモドール64(史上最も売れた家庭用コンピュータ)ではなく、MAXMACHINE。何がMAXなのかよくわかりませんが、当時国内向けコンピュータで普通に15万とか超えちゃう時代、1万で買えました。
わかりやすく言うと、ファミリーベーシックが基本装備されているファミコン、というのが一番近い気がする。
カートリッジ差込口があって、ここにソフトを入れてゲームするとか、まんまファミコン。
RAMが983Byte。(色々なバージョンがあるらしい)
さらっと言いましたが、コレはすごい事です。
なんと言っても、983文字以内でプログラムを完成させなきゃいけない、ということですからっ!。
それでも付属でついてきたBASICの命令一覧(例つき)を見ながら必死にBASICを覚えました。
本格的なものはムリでしたけど(物理的に)簡単なプログラムを打てるようになるのにそう時間はかかりませんでした、若い脳ってスバラシイ。
でもね、あんまりキーボードで文字を打ちまくるもんですから、すぐにキーボードがいかれてしまったんです。
それでも今の私の基礎的な部分はそれで構築されたんじゃないですかね。
そしてあの1983年を迎えたわけです。

続きは次回。

11/27 2回目
ファックスとかでたまに聞くことがある、かも つーわけで連続更新2回目ですoyadgeですこんばんは←昼ですってば
学校でも塾でもゲームウォッチをいくつ持っているかがステータスとなったあの頃。
であった本とは、電波新聞社のマイコンBASICマガジンです。
コレはどういった本かと言うと、今のPCユーザーは信じられないかもしれませんが、当時のパソコンと言うのはメーカーごとにCPUとか言語が違っていて統一規格というものがなかったのです。
なので、このゲームはPC-8001(NEC)用、これはMZ-1500(SHARP)用、コレはFM-8(富士通)用といった具合に、そのPCにあったソフトやアプリを手に入れる必要があったんですね。
そうは言っても、まったく互換性がなかったわけではなく、汎用言語としてBASICというものがあったのです。
各社で細かい違いはあっても、大まかなところは大体同じ。
で、そういったBASICを利用して作られたアマチュアのソフトを機種別に紹介している(プログラムソースごと)雑誌だったのです。
それ以外にも、いわゆるゲームソフトの紹介や、プログラム講座的なコーナーがあったり、中級書として(当時)活用できる内容でした。
私がその雑誌を見たときは、Apple(Macの前機種と思ってくれると一番近い)のシューティングゲームを紹介しているページと、BASICソースの紹介しているページを見て、こんなゲームが作れるようになる雑誌だっ!って思っちゃっても無理はない。
所詮アマチュアですから、そんなハイレベルなゲームが載っているはずはないんですが、それでも当時小3の私には衝撃的でした。
その雑誌を買って帰ってからというもの、私の主な遊び場に電気屋さんが追加されました。
電気屋さん(主に近所のナショナル、JR-200という機種)に置いてあるパソコンに、そのプログラムを打ち込んでゲームをする。
当然フロッピーなんて物はまだ普及していない、というか、ものすごい高級機種、オフコン(今では言わないですね、オフィス用パソコンです)にしかフロッピードライブなどなかったので、テープに保存したり出来るのはいいほうで、大抵は打ち込んで遊んだら消すだけ、なんともはや、今じゃ絶対に出来ないような遊び方。
そんな私を見かねてか、親がパソコンを買ってくれることになりました!
とか言って、私の小遣いからなんですけどね。
さて、私がかった機種とは・・・。
続きは次回。

11/27 1回目
子供の頃、眼鏡してない この人がうるさいのでやってみるかなoyadgeですこんばんは←昼です
つっても当然のごとくネタなどないのでいきなり困った。
連続更新って銘打ってますけど、かなり隠れたところに置いてるので、気づかない人のほうがきっと多い、意味無〜い。
気にしないことにしましょう。
日記じゃないので日々あったことではなく、過去の話でもしましょうか。
題して「私とコンピュータ」

コンピュータっつっても、色々あります、いわゆるパソコンなり、ファミコンを筆頭に家庭用コンシューマであったり、ゲームセンター用の筐体であったり。
私はよく親の買い物に金魚のふんヨロシクついて行って、最上階とかにあるゲームセンターで遊んだものです。
と言っても、私が小学生にあがる前の頃なんて、たいしたゲームがあったわけでもないんですが。
小学校に上がるかどうかと言う頃に、インベーダーゲームが出たのかな?
近くの駄菓子やさんとかにも縦型の筐体が置かれたりして。
1ゲーム10円とかね。
ものすごいはまってやりまくった記憶があります。
それとは別に、家庭用筐体として、ブロック崩しを買ってもらった記憶があります、確か小学校上がるくらいだから同時期に。
ファミコンなんてなかったですからね、そんな時代。
まぁそのうちゲームウォッチとか出たりして、家庭用筐体、携帯用筐体は急速に発展していくわけですが。
そんなある時。
ある1冊の本に出会いました。
続きは次回。

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