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令和4(2022)年度 月例会 報告  期日 11月 8() 

  うわじまアウトドアスポーツクラブ(宇和島山岳会)

 場所 宇和島市スポーツ交流センター 会議室

  ちょうど、皆既月食の時間帯でした。終了後、元に戻る様子が見られました。

 1 行事・ 山行・クライミング 報告       会報「ふみあと」11月 参照

(1) クライミング  橋本

  11月6日 四国ジュニアカップ 参加選手57名 他の3県からも大勢参加

(2)登山  有田・・・会報参照

   

2 クラブ関連 企画・予定など

(1)クライミング関連 

@ 大洲青少年交流の家 クライミング教室 

  11月6日(日) 11月27日(日)   12月11日(日)

 A クライミング部  今後の予定 

  移動ウオール・・・年明けまで 西予市田の筋公民館

  11月26.27 茨城県鉾田市へ  第2回ユースフェーチャ―カップ鉾田 JMSCA

ジュニアクライミングクラブより 藤原羽華 橡木湊 木野本恵輔 3名

 (2) 登山部 

  

(3)クラブの名称   西田

  綜合型関連 「うわじまアウトドアスポーツクラブ」

  市スポーツ協会・岳連関連 「宇和島山岳会」  両者を使い分けています。

  規約など公になるものでは両者を書くようにしてはどうでしょうか。

例 うわじまアウトドアスポーツクラブ(宇和島山岳会) 

(4)規約について・・・別紙:登録・認証制度の指導事項を受けて 別紙

  参加者にうわじまアウトドアスポーツクラブ規約を配布。

今日は時間がないので、12月の例会までに読んで検討してください

  問題点:

@会友の扱い  A月例会の名前は残しておきたい

B損害保険について・・保険に抵抗感のある方もいて、強制は難しい点がある。

 クライミング部指導者・ジュニアクラブは全員加入

 

 岳連・県関係・その他 

() 令和4年度登録・認証制度における審査会 指導事項  現在訂正中です。

登録申請を行った19クラブが、予備登録を終えることができました。 別記 

 総合型クラブ南予南部地区常任幹事に橋本 暁さん

(2) 四国ブロッククラブネットワークアクションについて  オンライン参加可

   11月20日10時〜16時半  場所 東京第1ホテル松山 2階コスコホール

  締切は、1110となっております。別記  橋本さんがオンラインで参加 

 

4 その他

 ※ 明浜町山あるきんぐ・・10月7日・雨のため筒上山から石鎚に変更 14名+4名

    10月27日 鬼が城山系・目黒鳥屋 曇り空ながら視界は良かった。 14名

    11月11日 雨包山・龍沢寺周辺 

 * 4月の総会の折に話が出ました、山岳会の50周年記念で鬼が城山に案内板をとのことでし

たが、「鬼が城山系案内」として、鹿のコルの地図の横にどうでしょうか。・・裏面

 * 宇和島市商工観光課への申し入れ。

  @鬼が城山系の案内板・文 A高月山の祠の位置と修復 B道標・宇和島行政区内に松野町 

  C国有林内の登山道・・? 関係団体:滑床自然休養林等保護管理協議会・森林管理署

 ※ 黒尊スーパー林道のブナの窪を回ったところに大きな松の木が倒れ、反対側の木に架かっ

ている。普通車は通れるがマイクロバスは通れない。市役所に連絡。

   11月中頃に市商工観光課に行く予定・・西田

※ 鬼が城山系に鉄塔の計画あり。

  有田:松野町職員より・・檜尾根と串が森を横切る。他の高月山周辺・滑床も関わってくる。

   目的は電力の送電線で高知の業者が実施する

山頂の尾根で景観上問題あり・・反対すべき・・近く松野町に行ってみる。

◎ 豊田ジム・・使う方が掃除をして欲しい。

今日行ったら、河野さんがしてくれておりきれいだった。

◎ ジュニア四国カップ・・運営に未熟さが目立った。

スポーツセンターとしては会場を貸しただけという感じ。

  日程について、年度初めに決めておいて欲しい。他の行事と重複した。

 

 20:30 他の団体の使用時間であり急遽中止。

      

 次回の例会 令和 4年 12月 6日(火)19:30〜 場所:スポーツ交流センター 会議室・・ 

例会予定日: 1月5日(木) 2月7日(火) 3月7日(火)

 

鬼が城山系案内板の位置は

 

 

 

 

例:案内板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      案内図の右横に別の標柱がありこれを移動するかまたは左側でもよいかな?

 

 

 

鬼が城山系案内文(西田 私案)

案内の構成

@ アーネスト・サトー  A 概要  B 名前の謂れ  C 歴史

 

鬼が城山系案内
幕末の激動期、慶応二(一八六七)年一月イギリス公使館書記官アーネスト・サトーが、宇和島に来航したときの様子が『一外交官の見た明治維新』という著書にある。「鹿児島を出港し宇和島港に投錨した。美しい湾が殆ど陸地で、高低さまざまな山に囲まれていた。城山の東側のすぐ後ろに聳える鬼が城山、「悪魔の城」として有名な高い峰が聳え立っている」。
この鬼が城山を中心とし滑床渓谷を取り囲むようにU字形の山域を鬼ガ城山系又は鬼ガ城連峰と呼び、最高峰の高月山(一二二九b)や三本杭(一二二六b)など千メートルを越す峰が十二座もある。渓谷も滑床、四万十川の支流である黒尊谷、御代の川、成川など恵まれている。
鬼が城山系は、昭和四〇年代までは世間にあまり知られることなく、自然の景観を保ってきたが、その山系の主要部と滑床渓谷が、昭和四七(一九七二)年に足摺・宇和海国定公園から国立公園に格上げされ、さらに黒尊スーパー林道が山頂近くに開通、それと共に登山者も増えてきた。
「鬼が城山」の名前の由緒は鎌倉時代、曽我兄弟とその家来である「鬼王団三郎」の主従が、この山系に城を築き住み着いたという伝説があり、もう一つは山の形が地方祭の出し物である“牛鬼”の胴体に似ているという二説がある。
歴史的に滑床は藩政時代、伊達家の避暑地として、足軽泣かせの「泣き坂」の名もあり、また蘭学者の半井梧庵・矢野守光など著名人の往来も多く、梅が成峠には茶屋もあった。
明治維新の功績者「江藤新平」が明治七年(一八七四)年三月に、佐賀の乱に敗れ挙兵を訴えるために宇和島から土佐へ行く途中に梅が成峠を通った。
令和五年三月   
宇和島山岳会 創設五十周年記念