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西条まつり”2009”
 
キンモクセイは香り ブログへ

♪新しい年が明けました♪


黄昏の川を渡って、神様がお帰りになりました。
嬉しかったのは、お旅所から川辺りまで神輿を担ぐ神さん担ぎが割り当てられたことです。
うちの町内会では初めてではないでしょうか。
チョウサジャ!の掛け声とともに女神様とのひとときを楽しみました。
みな様の新年が素晴らしいものとなるように、祈願しつつ。



西条は快晴!御輿の金糸も輝いています。



深夜からのお旅所奉納を終え、御殿前に向けて出発しました。
夜が白々と明けていくところです。








お昼に御殿前で行われたライバル達との担き比べにも圧勝しました。
すでに肩は服の上からでも分かりそうな位に腫れ上がってますが。
今年はうちの楽車が誕生から80年ということで、全面に垂れ幕を下げています。





伊曾乃神社境内まで無事に辿りつきました。
念願の中の後ろ隅(一番重い所)を担いだんですよ!
差し上げもバッチリ決まりました。
満喫しております(^_^)


出発前



2009!!今年の御神燈が灯りました
いよいよです。







2008年 創刊号
【8月27日】
第2号
【9月15日】
第3号
【10月5日】
祭1日目
【10月15日】
祭2日目
【10月16日】

2008/10/16

 ■◇■ 西条まつり2日目 ■◇■ 


間もなく午前二時。お旅所拝殿近くには楽車がつめかけ、入場を待っています。



氏子地区の東端、玉津まできました。
灼熱です。これでは日焼けしてしまいます。
只今小休止中です。







最後の急坂を担ぎ上げ、無事に加茂川まで到着しました。
今は後続の楽車と神様の到着を待っているところです。
揃った所で、神様が神社に帰るために川を渡り、
それを一部の楽車達が川の中まで追い掛けて引き止める神事が行われます。
一分一秒でも神様とともに居たい氏子達の気持ちが表れています。
(うちの楽車は土手の上から見送ります)




黄昏のなか、女神様が川を渡りきられました。
感無量です。
みな様お見守りくださいまして、本当にありがとうございました。
この後は暫し他の地区の楽車とともに名残を惜しみながら、町内へと帰ります。
みな様のこの新しい年のご多幸を心よりお祈りしております。


西条まつりライブカメラ




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2008/10/15

 ■◇■ 西条まつり1日目 ■◇■ 


いよいよお宮出しに出発です!



お宮出しでは、拝殿前できれいに差し上げが決まりました!
これで調子に乗っていけそうですよ。
(写真は疾走する御輿)



宮出しも終え、市内に花(ご祝儀)集めに繰り出しました。走る、走る…。

昼食が終わりました。
僕が酒を飲んでいるのか、酒が僕を呑んでいるのか…です。



西条まつりライブカメラ







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2008/10/5

 ■◇■ 「よいやさっ!」 第3号 ■◇■

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「金木犀は私も大好きよ!!!!
 こちらではなかなか金木犀の香りを嗅ぐことがないので
 金木犀の香りのするお香を焚いてはウットリとしています。
 やっぱり金木犀は特別だねえ。」

ね、ここにもいたでしょ?キンモクセイの人

1.模型の思い出

母方の祖父は実家から車で10分の所に住んでおります。
87歳の現在も背筋がピンと伸びていて健康そのものです。
この祖父、周りの皆が認めるスーパーじいちゃんで、67歳の時にも
まだ楽車を担いでおりました。
「15日の昼は、やれ花集めじゃの、やれ酔いつぶれたじゃので、
 青年団は楽車に誰ちゃついておらんのん。
 おるのは子供ばっかり。年寄りが担がされたわい」
36歳にして体力の衰えを感じている場合ではありません。
私は鉄人の孫なのです。


今回は、祖父製作の楽車模型の写真を添付しました。
ちゃんと彫刻の部分まで細かく刻んであるんですよ。
祖父は大工仕事が趣味で、我が家の木造ベランダ(2家族でいも焚き会ができるほど大きなもの)を
作ったくらいですので、このぐらいは朝飯前なのかもしれません。
あ、隣はマスコットガールです(笑)



さてこの模型の楽車。本物は祖父の町内会のもので、
私が10歳の時に新調されました。
祖父に招かれてお披露目に出かけたのですが、
はじめての楽車に某町青年団は悪戦苦闘。
景気をつけて台車を外したのはいいものの
あっちへフラフラ、こっちへヨタヨタ。
江戸時代から楽車を持っている老舗町に育った私には
とても見ていられませんでした。
「真はあの時得意げに『おじいさんとこの楽車は、若葉マークをつけないかんねえ』言うたのう」
今でも祖父は笑って言います。




後日談があります。
その日、フラフラ楽車に押されて、小学生が川に落ち込みました。
派手な水音がしたので駆け寄ってみると、僕と同い年くらいの女の子が
大人たちに引き上げられているところでした。
驚いて泣いてはいましたが、ケガはないということでひと安心。
しかし、何のご縁かこの方は、後に高校の合唱部で先輩となっていたのです。
祖父が「ありゃ○○ちゃんがおるねえ。あの時川に落ちた子じゃ」と
教えてくれて判明しました。
私、このようなチャンスを逃しません。


「ところで先輩、楽車に押されて川に落ちたなんてことはありませんよね」
「・・・(数秒)西山君、ちょっとあっちで話ししようか」


(音楽準備室にて)
「あんた、何でそんなこと知っとん??」
「お披露目の時に、僕もいたんですよ。落ちたところ見ました」
「・・・・いい、西山君。これは二人だけの秘密よ」
それから後輩君は、とてもとても大事にしてもらえましたとさ。





2.夜目、遠目、提灯の下

いきなり艶っぽい話ですが、普段見慣れた(失礼!)クラスメートの女の子でも、
祭りに会うとなぜだかドキリとしてしまったというような
そんな経験が担き夫の男には誰でもあります。
西条の女の子はこの時期「お正月の服」と同じように、
「お祭りの服」として、よそ行きの一張羅を買ってもらえる風習があります。※1
いつもの制服とはまた一味違う装いであることも理由のひとつでしょう。


女性がより美しく見えるシチュエーションは昔から「夜目、遠目、傘の内」
などと申しますが、よく考えてみれば、夜がメインの西条祭りは
この条件を、大いに満たしているではありませんか。


「傘の内」はその年の天気次第ですから、さて置きますが


夜目・・まさにその通り。夜中の2時、3時がメインの祭りですから。
遠目・・観客の渦の中では自然とそうなります。

そして、さらにもうひとつ。
「夜」であることに加えて「提灯の灯りの下」にいることです。
祭り提灯は女性を美しく見せる重要な小道具のひとつなのです。


楽車にはおよそ100個、御輿に至っては300個の提灯をつけますが
この現代科学文明の中にあっても電球は使わず、
そのひとつひとつにロウソクを灯します。
ひとつだけでは、ぼぅっとした薄ら明かりに過ぎないロウソクも
それが一台に100個。
77台+4台で同じ場所に約9000個の灯りとなると、これはまさに不夜城です。


特に見ていただきたいのは、御輿の灯りの美しさ。
疾走し、時に身をよじって上下に巨体を大きく揺する様は、
何か巨大生物のようなものが咆哮しているようにも見えます。
しかしその荒々しい姿には似つかわしくないほどに繊細な灯りを
全身にまとっていて、身を振り回すたび300個の提灯がふぁさっとなびいて、
暗闇の中に明滅します。
例えるならば乙女のブロンドの髪でしょうか。
この感動は、電気では絶対に得ることができません。
明滅の余韻にこそ味があるのです。
美しさが私の文章力では十分に伝わらないのが残念です。
これはやはり、実際に見ていただかないと。


若き男達は「密かに想いを寄せるあの人」の、
その美しき日の姿をひと目見たい気持ちを胸に秘め、力を振り絞って楽車を担ぎます。
その昔、私も願い叶ってひと目だけ想いの人に会えたことがあります。
あいさつを交わすことさえできないくらい、ほんの一瞬の出来事でしたが。
ほのかな明かりに照らされた彼女の美しさは、
肩の痛みなど忘れ去ってしまうほどに力をくれたのです。

直後、すぐ側におられるであろうお伊曾乃さんに心からの感謝を込めて
手を合わせたことは言うまでもありません。
お伊曾乃さんも、彼女も、どちらも女神様だったのでした。


※1.最近ではハッピを着ている子が増えましたが、それもここ15年の
   こと。そもそもは女性は参加しないお祭りだったのです。
   ちなみに母の娘時代、若い子は皆振袖だったそうです。
   復活しませんかねえ。


(トレーニング報告)

ここまで来たら、筋肉の張りを保つことに専念するしかありません。
本当に楽車は持ち上がるんでしょうか。
祖父に代わってもらった方がいいかな・・いやいや。





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2008/9/15

 ■◇■ 「よいやさっ!」 第2号 ■◇■

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1.十月の空に、キンモクセイは香り

私が氏子となっている伊曾乃神社では、毎年10月に秋季例大祭が催され
14日が宵祭(村周り)、15日に宮出し、16日に巡行と宮入りというスケジュールになっています。

身を焦がして祭りを待つ故郷の情景を少しでも身近に感じていただきたくて、
ある方へのメールを以下のような一文で書き始めました。



 金木犀は香り、稲穂首を垂れ、故郷に太鼓と鉦の音が響きます・・・



『風の谷のナウシカ』でババさまが突然暗唱し始める言い伝えみたいですが(^_^;) 
西条では言葉どおり、キンモクセイの香りとともに祭りがやってきます。

遠く東京に暮らしていても、
・・夏の暑さが引き始める頃から太鼓の空耳が聞こえ始めて

・・やがて秋風とともにだんじりのことで頭がいっぱいになって、

・・キンモクセイが香りはじめると完全に頭が狂うのです。

嗅覚にとどめを刺されてしまっては、もはや他の事はなんにも手につきません。うわの空です。



中学、高校では残り100日を切ると、どの教室も後ろの小黒板に
「祭りまであと××日!」という文字が躍ります。
(普通は「入試まであと××日!」ですよね)
先生達は口々に、
「祭りは来年もある。ほじゃけど、受験は一生で今年一回きりぞ!」
などと怒鳴って喝するのですが、生徒は生徒で
「今年の祭りは、一生で今年一回だけじゃ!」
とやり返し、2学期の中間テストは全員ボロボロ。これはお約束です。
キンモクセイに狂った若者達は、誰も止める事ができません。



このように私たちにとってキンモクセイは幸せ(禁断?)の香りです。
愛媛から遠く離れた東北の大学に進学した某君は、故郷恋しさに
トイレの芳香剤サワ○ィ(キンモクセイの香り)を胸いっぱいに吸い込んでは
懐かしんでいたそうです。
もはや病気に近いですね。



もしも、今後西条の人とお知り合いになる機会がありましたら、
「キンモクセイ香る季節になりましたね」と挨拶してみてください。
きっと満面の笑みを返してくれることでしょう。



※表題はオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の『オレンジは香り』にかけてみました。







2.楽車バブル

前号で楽車の重さは約800キロと書きました。これは我が町の楽車の重さでありまして
他の町内ではもっと軽いものもたくさんあります。


楽車は家型の2階もしくは3階建の構造。
当然2階の楽車は軽く、3階の楽車は重いのですが、
多くの地区が背の高くて見栄えがする3階に作り替え、今ではその大部分が3階楽車となっています。
ただし、同じ3階でも大柄なもの、スマートなもの、骨格のごついものと、個性は様々です。


古い楽車では江戸後期に建造されているものもあります(我が町の楽車は昭和4年の作です)。
しかし、全体の半数はここ20年の間に製作された比較的新しいものなのです。
思い起こしてみれば、私が小学生の頃にはまだ40台あまりしかありませんでした。
古いのばっかりでしたよ。
その後に新調が相次ぎ、数が倍増したのです。



そもそも、某地区が氏子としては数十年ぶりに新調したのをきっかけに
「やっぱりサラ(新品)は綺麗じゃのう!」と評判を呼び、後続の地区が次々と新調。
すると、今度はこれまで担いでいた楽車を中古として他地区へ売りに出すことになって、数が倍増します。
これを「楽車のバブル」と私は定義しております。
これまでは楽車のなかった地区も、これを機会に中古を買ったり、思い切って新調したり。
1台新調すると諸経費含めて約1500から2000万円の費用が必要ですが、これらはすべて町内の寄付で賄います。
町内会は規模が大きいところでも300件。
小さいと30件少々でも一台楽車を持っているところもあります。
運行のための諸経費もかかりますので、相当に大変だろうと思います。


さてこの新調ブーム、最盛期は折りしも経済のバブル景気とも重なります。
その波に乗ってかどうかわかりませんが、飾り彫刻の多い、重量級の楽車が数多く製作されました。
とにかく見栄えの豪華さを競いましたから、
龍だの鷲だのの立派な彫刻を手摺りの切れ目に置き、隅々まで細かい彫刻を施しました。
立派な楽車を作ったまでは良かったものの
、あまりの重量に丸2日間台車を入れっぱなしになってしまった町内会が続出したのもこの頃です。
ある町内では楽車大工の棟梁から
「お前らのところの楽車は台車を外す事を考えずに作ったから、外して担いだ時には責任持たんぞ!」
と言われて
皆あっけにとられたという伝説も生まれました。
(この町も今ではちゃんと担いでいます)





我が町の楽車は比較的細身(うちの父曰く「女性的なシルエット」)ながら、非常に重いのです。
何でも彫刻師が木を見る名人だったのだそうで、目の詰まった重いものを使用しているのがその理由。
以前に他の町内の友人が「いっぺん担がせて」と来て中に入ったまでは良かったものの
「お前のとこの楽車どうしてこんなに重いん?」
と半泣きでした。
重たい楽車を美しく担いでこそ西条っ子の心意気なのです。





(トレーニング報告)

五反田のマシントレーニングは、休日に家を空けることに家族の許可が下りず、今年は断念しました。
相変わらず、生きた重りを上げ下げして、筋力アップに努めています。
今日は片道20分の散歩の帰り道、娘を肩車して帰ってきましたよ。
一歩、一歩上下に揺さぶりながら。
私が担いだのは、きっと娘ではなく脳内楽車だったのでしょう。




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2008/8/27

 ■◇■ 「よいやさっ!」創刊号
 ■◇■
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1.よいやさっ!のネーミング


お祭りの掛声「よいやさっ!」は、漢字で「世弥栄」と書き
「世の中がますます栄えますように」という願いを込めた言葉だそうです。
四国の片田舎の小さな村祭りですが、3日2晩の間祈りの呪文をひたすら張りあげながら祭礼が執り行われます。



今年一年、お世話になった大切な方へ「よいやさっ!」
暗いニュースばかりが目立つ世の中へ「よいやさっ!」
渾身の力を込めて、楽車(だんじり)は前へ、前へと進むのです。



その特別な日を控えて、この高揚感を皆様と少しでも分かち合ことができたらという勝手な思いから
このメールマガジンは創刊されました。





2.担ぐためのトレーニング


楽車(だんじり)の重量は約800キロ。
夜100個の提灯をつけ、鳴り物(太鼓と鉦)で大人が2人乗れば、最大で1トン近い計算になります。
これに対して、一度に担げる人数はせいぜい15名。ひとりあたりの負担は相当なものです。
楽車と担ぎ手は丸3日間で数十キロを移動します。ひと町内の人力は多くても20〜40人程度ですから
さすがに担ぐだけでは全行程を廻り切れません。
2輪の台車(脱着式)が入るようになっています。
特に御花(ご祝儀)集めで青年団員が走り回らなければならない10月15日の昼間は
台車を入れての運行が中心です。
しかし、神様をお迎えに神社境内へ上がるお宮出しや、16日の巡幸は
のべ15万人を超えるギャラリーの目もあり、車輪を入れたままでは格好がつきません。
当然、町内会のプライドをかけて担いで見せるわけです。
できるだけ、力強く、美しく。そして長い時間。
これが、西条っ子の心意気です。















さて、心意気と気合は良いのですが、三社祭りや神田明神のようなお神輿とは違い
楽車には交代可能な長い担き棒が付いておりません。
とりわけ、土台の中(この人達がエンジンです)に入ってしまうと
どんなに重くて辛い状態でも「もう無理じゃ、代わってぇ!」と逃げ出すことはできません。
油汗を流しても、ただ、ただ耐えるしかないのです。
肉体労働に従事している人ならまだしも、日常その半分の重さも持ち上げることのない生活ながら
一年ぶりに楽車を長時間担がなければならない辛さは苦行以外の何ものでもありません。
固い担ぎ棒は首の付け根の皮を剥ぎ
祭りが終わると毎年決まって内出血で腫れあがり外には血が滲んでいます。
かく言う私も平日は朝9時から夜の8〜9時まで、ほぼ職場のデスクに座りPCに向かって過ごしております。
愛(哀?)妻弁当の入った鞄より重いものを持つことはありません。
当然、相当のトレーニングが必要になります。



ここで、面白い記事を見つけました。
西条祭りの宣伝部長ことテノール歌手の秋川雅史君です。
創英社発行の「元気になるお祭り・花火」という本で
秋川君は巻頭カラーのページに登場し「祭りへの思い」を語っております。
彼は「祭りが近づくと、友人に丸太棒の両端へぶら下がってもらって肩を作ります」と。
イタリアに居ても、祭りだけはスケジュールを空けて帰ってくるとは聞いていましたが
担ぐ練習までしていたとは・・。
彼は本物の祭りバカです。感動しました。



私も負けてはいられません。
直前の付け焼刃では歯が立ちませんから、まずは身近なバーベル。
娘(21キロ)を背中に背負い
息子(10キロ)を抱いたまま
スクワットという荒行から今年の訓練を開始しました。
固い担ぎ棒も辛いですが、はしゃいで動き回る重りたちというのもなかなか辛いです。
同時に、娘を背中に乗せての腕立て伏せもこなします。
息子がぐずって寝付かない日は、抱きかかえて揺すりながらの伊勢音頭。
膝を使って全身を鍛えます。
唄の練習にもなります。


♪お伊勢ナーエ参りにこの子ができた(アラヨイヨイ)
 お名をつけましょ ハルタカと
  ササヤートコ・・



節回しのせいでしょうか。
あらゆるジャンルの歌を試しましたが、伊勢音頭を歌うと子供が寝ます(断言)。
上の子もそうでした。
ボランティアで全国のぐずる赤ちゃんを抱いて廻りたい心境です。



これに加えて休日には、早朝ランニング。
また、通勤途中の五反田にあるスポーツクラブでは、月額の会費ではなく
一回毎の使用料でマシンやウエイト器具が使えるとの情報を得ましたので
早速来週あたりから出かけてみる予定です。
鍛錬の結果が出て、本番で美しく担ぐことができたら最高なのですが。


私は身長170cmですが、見栄えのする180cmや185cmの人をうらやましく思ったことがありません。
負け惜しみ?いえいえ。
なぜなら、楽車の華である中の後ろを担ぐことができないからです。



(次号に続きます)



【執筆者】  S・N  (某地区青年団員)



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